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旧奈良家住宅は、JR奥羽本線追分駅から東北に約2kmの男潟北岸に位置します。 奈良家は、弘治年間(1555〜 1558)に大和国(現在の奈良県)の生駒山麓小泉村から現在の南秋田郡昭和町豊川に移住し、江戸時代初期には約10km南にある現在の地に移転したと伝えられています。
現在の旧奈良家住宅は、江戸時代中期の宝暦意年間(1751〜1763)に9代善正(喜兵衛)によって建てられました。このときの棟梁は土崎の間杉五郎八で、3年の歳月と銀70貫を費やしたといわれています。建物の両端が前面に突き出す形は両中門造りとよばれ、秋田県中央海岸部の代表的な農家建築です。奈良家の場合は、正面左側が上手の中門(座敷中門)、右が下手の中門(厩中門)になっています。両中門と母屋を含む延建築面積は424.05平方米(128.5坪)あります。
茅葺屋根や板壁、鉋仕上げ・チョウナ仕上げによる部材などから、いかにも古風な民家をうかがうことができます。それとともに、入母屋に構えた厠中門の屋根や、書院造り風の座敷などからは、県内屈指の豪農としての格式の高さを知ることができます。
旧奈良家住宅は、秋田県中央海岸部の大型農家建築として、よく初期の形態をとどめ、また建築年代が明らかな点でも貴重な民家であり、昭和40年5月29日に国の重要文化財に指定さました。(秋田県立博物館 旧奈良家住宅リーフレットより)
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この度の公演では「土間」を客席に、「おえ」を舞台として使用させていただきます。
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